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ここから範彦のクラシックギターの勉強が始まりました。

2007年12月31日 (月)

年の瀬が近づいて

  玉川上水の木立もすっかり葉を落とし、遊歩道は落ち葉が心地よいクッションになっています。

先日、懐かしい場所へ行ってきました。
そこは私達家族が長く住み又お弟子さん方がレッスンに通って来られた、国分寺市西恋ヶ窪の自宅跡です。今は北隣りにお住まいの方が所有されています。門柱と塀は当時のままで、門の中を見せて頂きましたら、一面青々とした芝生が陽射しをいっぱい浴びて輝き、バラが美しく咲き、一角には野菜も育っていました。門の前に立つと、門の中すぐ右手にあった部屋が思い出され、窓からはギターの調べ、そして範彦とお弟子さん方の談笑が聞こえるようでした。

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↑懐かしい西恋ヶ窪の元自宅の門

思い出の多い国分寺市の”名所”を一つ紹介します。
「日立中央研究所」
11月18日は年2回の庭園開放日でしたので散策してきました。案内書によりますと当研究所は1942年に設立され、敷地207000㎡(東京ドームの約5倍)、自然環境は樹木27000本、野鳥40種類、構内数ヶ所の湧水を利用した大池があり、その湧水は多摩川に注ぐ「野川」の源流の一つになっています。

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↑「日立中央研究所」庭園にて1

この日は風もなく空は青く、見上げると大きな欅が枝を広げ、様々な木が色々な表情を見せ、冬を迎える前の武蔵野の面影を満喫できました。

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↑「日立中央研究所」庭園にて2

また、私の好きな檀(マユミ)の大きな木が、たくさんの真っ赤な実をつけているのに出会いとても嬉しかったです。
大池の水が溢れ、水門から音を立てて出て行くの見て湧水が絶えることの無いようにと思いました。

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↑「日立中央研究所」庭園にて檀の木

範彦のお話に戻ります。
日南で歌謡曲の先生にギターを習っておりましたが、先生から「範彦にはもう教えることが無い」と言われ父親は途方に暮れたそうです。
1958年に神戸市に転居し、小学校4年3学期からは、以前在籍していた神戸市の小学校に再び通うことになりました。音楽の成績はいつも「5」を、5年生の一年間は1日の欠席も無く皆勤賞を頂くなど、元気に積極的に学校生活を送っていたようです。
父親は自宅から1.5K程の所に松田二郎氏がギターを教授している事を知り、入門させて頂くことになりました。ここから範彦のクラシックギターの勉強が始まりました。

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↑1958年2月 「クラシック登竜門」出演通知のはがき

範彦を支えていたのは、既に、範彦のクラシックギターにおいての大きな可能性を感じていた母親の熱い思いでした。毎日、15時になって母親が窓から外にいる範彦を呼ぶと、友達と遊んでいてもすぐ帰って来て、母親と1時間の練習を欠かさなかったそうです。「お母さんっ子」の範彦にとってその練習は楽しいものだったようだと父親は話しています。母親は上達していく範彦の腕試しにと、機会あるごとに放送局の番組に応募していたようです。

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↑1958年10月松田古典ギター研究所発表会プログラムより1

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↑1958年10月松田古典ギター研究所発表会プログラムより2

長男とクリスマスの飾りつけをしている写真がありました。小さい子供と接する範彦の表情はやさしく和らいでいました。

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↑ 1976年12月長男とクリスマスツリーを飾る

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↑1977年1月雪の日に西恋ヶ窪自宅前で

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