ギャラリー

子ども時代の範彦

子供時代の範彦

(渡邊悦子)


1947年 範彦は宮崎県日南市で生まれました。

範彦は宮崎県日南市柚梅が浜にて、父範義、母綾子の長男として元気な産声をあげました。当時の記録には1947年9月11日午前3時8分、体重800匁(=3000g)とあります。

「範彦」命名の由来は、父親の名から「範」をもらい、「彦」は”教養のある男子の総称”の意味があることから、また父親の周りに「彦」とつく名前の偉い方が何人かいたから、ということだそうです。

範彦は「彦さん」の愛称で可愛がられました。

看護師であった母は、妊娠中は新鮮な魚をたくさん食べ、カルシウムの摂取に気をつけたそうです。その功あってか、範彦の爪は本当に丈夫でした。(胎教として音楽を心がけたことは特になかったようです)

範彦の父方の祖母が、その地域ではかなり有名な三味線の名手だったそうなので、その才能も受け継いでいるのでしょう。

父親は勤勉・誠実・几帳面な性格で、今は亡き母親は日南に降り注ぐ太陽のように情熱的で感情豊かな人だった、と聞いています(悦子)

宮崎空港から飫肥(おび)行きのバスに乗り、30分ほどしますと、左の窓の外には広い太平洋が見えてきます。

海岸線に沿ってさらに南に30分、寄せる荒い波が作った「鬼の洗濯板」撮影スポットの堀切峠などを過ぎた頃、下の写真の風景が見えます。道の駅フェニックスです。椰子の木の向こうに雄大な海を臨み、いかにも南国の景色という感じがします。

範彦が生まれた、油津はここから更にバスで30分ほどのところにあります。

1歳の頃、兵庫県明石市に転居しました。

範彦の小さかった頃のことにふれます。

母乳ですくすく育ちました。1歳の頃、父親の仕事の都合で兵庫県明石市に転居しました。看護師で働く母親に代わって、昼間は叔母が世話をしてくれました。機嫌もよく手のかからない赤ん坊だったようです。

2歳の頃神戸市に転居し妹も生まれました。幼児期は元気でやんちゃな子どもでした。

動物園にて 妹と
両親と妹と

1954年、小学校に入学しました。

1954年、小学校に入学しました。18学級と記してありますので、18組ということでしょうか。まさにベビーブームの真っ最中でした。

入学後も”やんちゃ”を大いに発揮していたようです。イタズラ好きな明るい少年期でした。通知表を見せてもらいましたら、音楽は低学年から「よくできる」がついていました。

初めてギターを手にした頃のこと

小学校に入ってからも範彦がやんちゃなので、両親は楽器を弾くことで少しは落ち着かせたいと思いました。

その頃は、古賀政男の曲が大変流行しており、両親も古賀メロディーが好きでよく聞いたり歌ったりしていました。8歳の範彦も子供ながらに子がメロディーのギターの音色に親しんでいましたので、父親が歌うと「そこは音程が違う」と指摘したそうです。

ギターは一番身近な楽器でした。初めは自己流で歌謡曲を引いて、父親と楽しんでいました。

範彦8歳(妹と)

1958年2月 神戸市に転居

日南では歌謡曲の先生にギターを習っておりましたが、先生から「範彦にはもう教えることがない」と言われ、父親は途方に暮れたそうです。

1958年に神戸市に転居し、小学校4年3学期からは、以前在籍していた神戸市の小学校に再び通うことになりました。音楽の成績はいつも「5」を、5年生の1年間は1日の欠席も無く皆勤賞をいただくなど、元気に積極的に学校生活を送っていたようです。

父親は自宅から1.5キロほどの所に松田二朗(晃演)氏がギターを教授していることを知り、入門させていただくことになりました。ここから範彦のクラッシックギターの勉強が始まりました。

範彦を支えていたのは、既に範彦のクラッシックギターにおいての大きな可能性を感じていた母親の熱い思いでした。

毎日、15時になって母親が窓から外にいる範彦を呼ぶと、友達と遊んでいてもすぐ帰ってきて、母親と1時間の練習を欠かさなかったそうです。

「お母さんっ子」の範彦にとってその練習は楽しいものだったようだと父親は話しています。

母親は上達していく範彦の腕試しにと、機会あるごとに放送局の番組に応募していたようです。

1958年2月「クラシック登竜門」出演通知の知らせ

小学校6年生の範彦にとって、勉強と練習の両立は大変だったようです。そのころの逸話ですが、レッスンにいく時間が来ているのに、範彦は珍しく「今日はいきたくない。」と言いました。どうしてかと母親が尋ねると、練習のし過ぎで指先から血が流れているのでした。

母親曰く「誰でもある事で、そんな弱いことでどうするの」と行きたくないと言う範彦の手を引いて、レッスンに行ったと言う事です。母親は範彦のギター教育に熱心な人でした。

1959年7月26日 読売テレビ「仲よし日曜音楽会」優勝

1959年11月9日 「子ども音楽コンクール」で一位を受賞

1959.11.9 神戸新聞会館にて「子ども音楽コンクール」で一位を受賞、ハーモニカと学用品をいただく。

<読売テレビ:仲よし日曜音楽会>では、かルリ作曲、序曲を弾き優秀賞をいただきました。

1960年3月19日 神戸市宮本小学校にて演奏

1960.3.19 神戸市宮本小学校にて ソル 魔笛の主題による変奏曲、愛のロマンスを演奏

12歳になった頃には松田先生のレッスンに1人で通うようになりました。レッスンは厳しく、「叱られた。」と帰って両親に話すことが多かったそうです。時には「もう来なくていい」と言われたこともありました。それでも範彦はギターをやめたいとは言わなかったそうです。ただ、繰り返し練習をする日々でした。

その頃、松田先生の先生でいらっしゃった、故月村嘉孝氏からもレッスンを受けるようになりました。ご年配でもあり温厚な方で、少年範彦に丁寧に教えてくださったそうです。

松田先生の厳しさと月村先生の支援を受け、多くの影響をいただきながら範彦のギター音楽は上達して行ったのだと思います。

範彦には当時、悩みがありました。それは使っている楽器が粗末で、いくら調弦しても先生の楽器と音程が合わないことでした。

父親と新しい楽器を買いに行きました。

父親は2万円ので十分だと思いましたが、他の楽器と引き比べていくうちに、範彦は5万円のドイツ製の音に強く惹かれ、一歩も譲らず、その楽器を手に入れる事ができました。

嬉しくて、夢中で練習している様子が目に浮かぶようです。

(高学年になると社会科に興味を持ち、特に地理が好きだったようです。一緒にテレビを見ている時、ニュースに出てくる地名がどこにあるのかよく教えてくれたものです)

松田二朗(晃演)門下生ギター研究発表会

<第3回>

1959.10.10(土)6:30 神戸生田公会堂

第二部

2.独奏 渡辺範彦(12歳)

アレグロスピリットop15より・・・・・・ジュリアーニ

1960年3月12日 毎日テレビにて演奏

1960.3.12 毎日テレビにて ギャロップ、カプリチオ、愛のロマンス、序曲を演奏(新聞テレビ欄切り抜き)

この受賞は12歳の範彦に大きな自信をもたらしました。

そして同じ年の秋にはもう一つ、範彦にとって大きな出来事がありました。ナルシソ・イエペス氏が来日し、神戸にて初めて世界的なギタリストの演奏を直に聞いた事です。

ナルシソ・イエペス氏来日

(この時、範彦は記念演奏を行った)

ナルシソ・イエペスからいただいたサイン

1965年2月1日 第8回ギターコンクール2位受賞

1966年2月5日 第9回ギターコンクール2位受賞