少年時代のお話
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2008年4月 2日 (水)
少年時代のお話
陽光は暖かく、春風のやさしい季節になりました。
ベランダの温室では、シンビジュウームのピンクの花が咲き始めました。
これは範彦が、7年前の私の誕生日に贈ってくれたものです。そして毎年咲き始めるのが、範彦の命日の頃なので感慨深いものがあります。
2月29日は範彦の命日で、毎年その頃になりますと、
1年目、2年目と偲んでまいりました。
4年ぶりに廻ってまいりました今年のこの日は、実感が強く、
最期の頃の様子が思い出され、胸に迫るものがありました。
辛い思い出になりますが、その頃はミニシュークリームと苺しか口にせず、病室で毎朝、一緒に食べていました。食べてくれるならと、果物屋で上等で、甘い苺を買うのが私の日課になっていました。
少年時代の範彦のお話にもどります。
12歳になった頃には松田先生のレッスンに一人で通うようになりました。
レッスンは厳しく、「叱られた。」と帰って両親に話す事が多かったそうです。
時には「もう来なくていい。」と言われた事もありました。
それでも範彦はギターを辞めたいとは言わなかったそうです。
ただ繰り返し練習をする日々でした。
その頃、松田先生の先生でいらっしゃった、
故月村嘉孝氏からもレッスンを受けるようになりました。
ご年配でもあり温厚な方で少年範彦に丁寧に教えてくださったそうです。
松田先生の厳さと、月村先生の支援を受け、
多くの影響を頂きながら範彦のギター音楽は上達していったのだと思います。
範彦には当時、悩みがありました。それは使っている楽器が
粗末でいくら調弦しても、先生の楽器と音程が合わないことでした。
父親と新しい楽器を買いに行きました。
父親は2万円ので十分だと思いましたが、他の楽器と弾き比べていくうちに、
範彦は5万円のドイツ製の音に強く惹かれ、一歩も譲らず、
その楽器を手に入れる事ができました。
嬉しくて、夢中で練習している様子が目に浮かぶようです。
一方母親はラジオやテレビの番組で力試しをさせたいと、応募をしました。
<ラジオ神戸:クラッシック登竜門>では、シャルルドアジ作曲、
ソナタ第3番を弾き、<読売テレビ:仲良し日曜音楽会>では、
カルリ作曲、序曲を弾き優秀賞を頂きました。