ギャラリー

青年時代の範彦

青年時代の範彦

このコーナでは、最近見つかった写真も含めて若き範彦をご紹介します。

(渡邊悦子)

※年代や状況については、わかり次第追加して参ります。


実家の家族と

実家で見つかった写真より

河野ギター工房にて

工房の皆さんと。(来日したブリーム氏の貴重な写真も発見)

デビューコンサート

デビューコンサートを行った夜工房の皆さんとの飲み会があり、その翌日「デビュー記念レコード」を一発録音したという逸話があります。

デビューコンサートのプログラム

サインする範彦
演奏会後の宴会

宴会の翌日、このデビューレコードが録音されました。

(デビュー記念レコードのライナーノートに書かれた有名な逸話をご紹介します)

レコーディング・メモ(太田鉄也ライナーノートより抜粋)
渡辺範彦の最初のリサイタルが開かれたのは、1967年6月29日で、これはジョイントではあったが、彼の演奏は東京文化会館小ホールを埋めた満員の聴衆に、大きなセンセーションを巻き起こしたのである。日本人のギター演奏会としては、画期的とも云える出来事だった。レコーディングは、その翌日に、テイチク会館に於いて一気にとり行われた。リサイタルの時の全曲目に加えて、スカルラッティのソナタホ短調と、アストリアスの2曲が追加され、レコーディングの常識を破って何のテープ加工をも施さずに録り終えたものである。にもかかわらず彼の完璧のテクニックによって、殆ど無傷に仕上がっているのは驚くべきである。ただスカルラッティのテンポの設定に大分苦慮した模様だったが、それは本人の問題で、録音する側ではテープを回しっぱなしにしておくだけでよかった。ともかく渡辺範彦の19歳の記念のLP第1号は、こうして出来上がったのであった。

1969/10/18 範彦inParis

10/19ラジオの3分間の収録時か?
一緒にいる方はどなた?
真鍋氏?フランス人女性?
ビタル氏(左)M.ROBERT J.VIDAL

第11回パリ国際ギターコンクールにて優勝

日本人として初めて優勝する(審査員12人満場一致は史上初)。

フランス国営放送より届いた「第11回パリ国際ギターコンクール本線」への出場を許可する電報
本選参加者プロフィールパンフレット
優勝者のメダル
本選プログラム表紙
本選プログラム
会場での写真
授賞式の写真
ビダル氏と
タンスマン氏と
優勝後4か月間ロンドンに留学 
ダイアナポールトン女史から ゛タブラチュア〝譜によるリュート奏法を学ぶ

パリコン優勝後、パリギター週間にて初リサイタル。

ロンドン留学中にパリに戻り「国際ギター週間」に出演。パリにおける初リサイタルも大成功となる。

牟田口義郎特派員の1970.2.26
朝日夕刊の記事→パリにおける渡辺範彦 初リサイタル、大成功
現代ギター1970年4月号、゛パリ国際ギター週間〝高橋功 文より

牟田口章人様(御子息)よりいただいた”パリ国際ギター週間”での写真

セゴビア氏を囲むレセプションに招待された時の写真(1970年10月パリ)

この時、セゴビア氏の前で箜篌歌(伊福部昭作曲)を演奏した 

レセプション(セゴビア氏と)
1970年 フランス・パリからの絵葉書

1970年 パリ大学でのコンサートポスター

コンサート評

The VANCOUVER SUN紙 1973年1月15日 カナダバンクーバーにて行われたコンサートについて

音楽的繊細さと高度な技術を持つ、日本人音楽家
【日本語訳】日本人ギターリスト、人々の心に響く音の芸術(ロイド・ディク評)

渡辺範彦氏が、日本ギター会の若きリーダーである。日曜の夕べ、センテニュアル・ミュージアム・オーディトリアムで氏の演奏を聴いた。その演奏を聞く前の氏に対する世界の評価は、「はかり知れない豊かさを持つ音の響き、爆発するかのような想像力、それを支える高度な技術」ということであった。

この評判は、疑いの余地がない、いや完璧と言っていいほどに真実であった。25歳の渡辺氏は、高度な技術と衝撃的なほど成熟した音楽性を持ち合わせている。日曜の夕べ、今夜彼の音楽性を目の当たりにし、心からの賞賛の拍手を惜しまなかった聴衆にとっては、彼が世界に名を馳せて行ったとしても、全く当然の事である。

渡辺氏は、詮索、想像力に溢れる音楽的深淵、屈強とも言える演奏技術を駆使して、自由に音楽のアイデア空間を飛翔するのだ。氏の醸し出す音の明確な響き、水の如く溢れるそのフレージングとメロディー、楽譜に命を吹き込む彼の心と技、それらの中に音楽の神秘が内在する。氏の演奏曲目は、ルネッサンスとバロック時代のクラッシック曲と、現代スペイン局で構成されていたが、それらの曲目を通して、渡辺氏は、彼の才能や技術を最大限に発揮した。

プログラム前半の最大の果実は、フレスコバルディ作曲「アリアと変奏」であった。まずアリアが歌っているかのように弾かれ、音と音の間が慈しむように活かされていた。変奏部分は、指先に神経の行き届いた速いパッセージと気品に溢れたアクセントが躍動した。それからダウランド作曲「ガリヤルド」、珠玉のような小曲のスカルラッティ作曲「ホ長調ソナタ」は、他に類を見ないほどの繊細さで音楽が創られていた。

バッハのリュート組曲四番は、プレリュードを除いては、バッハの音楽でさえ時には機械的に聞こえるように思えた。渡辺氏は一つ一つの音を完璧に把握していなかったように思えたが、バッハ音楽の連綿として続く規則的な音のつながりにも、氏は想像力の炎をもって成功裡に命を吹き込んだのだ。

音楽と一体化すること、完成の輝き、個性豊かな一つ一つの音を解き放つその能力で、後半のスペイン曲は演奏された。渡辺氏は、ポンセ作曲「ソナタ第三番」の、その曲想である浮遊する印象派的な旋律を、ある程度の緊張と微妙なリズム感を操りながら、辿っていった。氏がさらに我々を誘った音楽の道は、ヴィラ・ロボスの2つのプレリュード、有名なアルベニス作曲「アストリアス」と続いた。氏は、音楽のこの散歩道で、詩情溢れる彼の音楽を持って、今見つけたばかりの音楽の宝石のような感性で我々に語りかけた。

渡辺氏のコンサートは、バンクーバーギター協会の招喚で実現する。

帰国後の演奏会

荒川紀一氏撮影のポートレート

新聞・雑誌記事

1969-70
1969-70
1969
1970年(2013年の回顧展にて新妻様よりいただきました)
1970
1970
1970
1970

1971
1972
1972
1972/7/8
1973
1974
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1975
1975
1975年5月21日
1978
1978
1979